『納豆の起源』の著者、地理学者の横山智教授にお話を伺ってきました。
ーーー15年前から納豆の起源を追い求めて研究を始められたと先生の著書「納豆の起源」にも書かれていましたが、どんなきっかけだったんでしょうか?
そうですね、納豆の起源地は日本なのか? また、日本以外で納豆は食べられていないのか?と疑問に思いますよね?
ーーーはい、納豆は日本の食べ物だと思っていました。
私が実際に海外の納豆を見たのは、2000年、ルアンパバーンというラオス北部の世界遺産の町のナイト・マーケットでした。
現地語で「トゥアナオ」と呼ばれていました。「腐った豆」という意味です。それを食べようとしたところ、強烈なアンモニア臭がして、食べられるかどうか不安でした。
そして、食べてみるとやはり美味しくありませんでした(笑)
知識として、現地に納豆があることは大学時代に習っていたので、「トゥアナオ」を見たときに、それが納豆だということはわかりました。
美味しくはなかったのですが、味は日本の納豆と同じだったので、もしかしたら、探せばもっと美味しい納豆が照葉樹林帯の東南アジアやヒマラヤにはあるのではないかと思ったんですね。
「トゥアナオ」との出会いをきっかけにして、それ以降、専門とする東南アジアの森林や農業の調査で訪れた土地で納豆を探すようになりました。
2007年からは、これまでほとんど行われていなかった詳細な納豆の調査を始めました。
照葉樹林文化論とは・・・
これは1972年に植物学者の中尾佐助先生が『料理の起源』という本の中で、「ナットウの大三角形」という納豆の起源と伝播について提示した仮説です。これによると、納豆は中国南部の雲南省が起源だとされています。
出典:『納豆の起源』73ページ
1960年代に「照葉樹林文化論」という、日本文化の起源について盛んに議論されたことがありました。
照葉樹林とは、西日本から朝鮮半島、中国、東南アジアの北部そしてネパールを通り、ヒマラヤに続く地域に広がる常緑広葉樹の林です。
そこには、類似の植物利用が見られ、日本と同じような文化があるという非常に有名な理論です。
それが「照葉樹林文化論」で、その照葉樹林文化の中心地は中国南部の雲南省付近とされました。
これまでの学説では、納豆は照葉樹林帯の食べもので、その起源地は「ナットウの大三角形」でも示されているように、照葉樹林文化の中心地とされる中国南部の雲南省付近といわれていました。
これまで色々と議論されていたので、ラオスの北部で見たものも、納豆だと判断できたのです。
「ナットウの大三角形」を提唱した中尾先生は、「大豆」「植物」「菌」の植物文化複合が納豆の特徴であると述べています。
納豆の起源を探る鍵は、植物から供給される菌にあると考えられます。日本では、かつては稲藁で煮豆を包んで納豆をつくっていました。
稲藁についている枯草菌で煮豆を発酵させているのです。
現在、日本の納豆は培養した菌をふりかけて発酵させています。東南アジアやヒマラヤでは、どうやって煮豆に菌をつけているのか気になります。
私は東南アジアとヒマラヤの63地点で納豆の調査を行いましたが、昔の日本と同じく稲藁を菌の供給源として使っていたのは、ミャンマー・シャン州の一地区だけでした。
その他は、バナナ、イチジク、シダなどの植物の葉を使っていました。
引用 : 視点・論点 「納豆の起源を探る」
東南アジアの納豆と日本の納豆の違い
日本の納豆とは違って、東南アジアのラオス、タイ、ミャンマーでつくられている納豆の多くは、センベイのように平たくして乾燥させていました。センベイ状の納豆は調味料として使われています。
ーーー納豆が東南アジアにあるのは日本ではまだまだ知られていないですよね?
「照葉樹林文化論」で紹介されているので、知っている人もいるとは思いますが、一般的ではないです。
ただし、たくさんの日本人観光客がタイなどに行くようになり、センベイ状納豆を目にする機会も増えていると思います。
タイ北部のチェンマイのような観光地では、市場で普通にセンベイ状の納豆を売っていますから。
ただし、それが納豆だと気づくかどうかは分かりませんが。おそらく、日本人の感覚だと普通にセンベイだと思うのではないでしょうか。
東南アジアでも日本と同じような粒状とか、それをひきわり状にした納豆もありますが、そのような状態で売られていることはあまりなくて、葉っぱなどに包まれている事が多いので、中を開けて見ないことにはわからないです。
昨年、調査でベトナムに行った時、私は市場ですぐに納豆を見つけることができたのですが、ベトナム人は、それが納豆だと気づかなかったくらいです。
ベトナムでは納豆は少数民族とされているタイ族がつくっている食べ物なので、首都からきたキン族(ベトナムで一番人口の多い民族)はわからなかったのです。
ーーー海外では納豆は健康食ではないのですか?
ないですね、体に良いから食べるという概念は全くないです。日本では、納豆は健康食のように思われていますが、東南アジアでは食べものというよりは、調味料として使われていることのほうが多いです。
ブータンでは「こんな臭いものを食べると体に悪いから子供には食べさせない」と言っていた生産者すらいました。
東南アジアの納豆は、うま味調味料の一種です。発酵によってうま味成分のアミノ酸が生じます。それを調理する時に入れて、うま味を加えるということです。
うま味調味料の主流は、低地では魚醤(魚で作った醤油)ですが、山地では魚醤のようなものが手に入りにくかったので、その代わりに納豆がうま味調味料として使われていました。
大豆を納豆菌によって発酵させたものが納豆ですが、現地で納豆をつくっている人たちは、どんな菌で大豆を発酵させているのか分かっているわけじゃないです。
※納豆菌の学名はバチルス・サブチリス・ナットー(Bacillus subtilis var. natto)で、枯草菌の一種である。
納豆菌がどこについていて、どうやったらそれを供給できるのかなど、つくっている人たちは全く考えていないです。
多分、煮豆を置いておいたら、そこに納豆菌がついて発酵して、納豆みたいに食べられるものができた。
そして、それが美味しいから食べているということだと思います。
私は納豆をつくっている人に「納豆菌が煮豆について発酵していることを知ってる?」と何度も尋ねたのですが、誰も知らないのです。
ちなみに、私の知り合いで納豆の菌の研究をしている研究者がインドにいます。
発酵した納豆を分析して、どのような成分が生成されるのかなどの研究をしています。ただし、それが体にどれだけいいかということを調べているわけではないですね。
純粋に菌の研究をしています。
ーーー毎日食べてるんですか?
そうですね、毎日食べているかというと、それはないと思いますが、一週間のうちに何度かは食べるというのが多いと思います。
日本人でも本当に好きな人じゃないと毎日納豆を食べることはないですよね。現地でも、納豆をつくっている地域では、一週間に2、3回とかじゃないでしょうか。
だいたい、日本人と同じぐらいの頻度で食べていると思います。
ーーーすごく気になるのですが、日本では納豆は健康食の代表ですが、東南アジアなど他の国で納豆を食べている地域で長寿だったとか、肌が異様に綺麗だったなどそういったことはありましたか?
全くないですね(笑)
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横山智
1966年、北海道生まれ。
筑波大学大学院博士課程地球科学研究科地理学・水文学専攻中退後、2003年筑波大学から博士(理学)を取得。
熊本大学文学部助教授(准教授)、名古屋大学大学院環境学研究科准教授等を経て、現在、名古屋大学大学院環境学研究科教授。
東南アジアの大陸部(ラオス、ヴェトナム、タイ、ミャンマーなどの国が位置する地域)の農山村地域で、森林利用、焼畑、生業構造など、自然と人間の相互関係と変化について研究をしている地理学者。
照葉樹林帯の納豆などの発酵食文化の研究も行う。
著書に「納豆の起源 (NHKブックス No.1223)」(単著)、「Integrated Studies of Social and Natural Environmental Transition in Laos」(共編著)、「モンスーンアジアのフードと風土」(共編著)、「資源と生業の地理学 (ネイチャー・アンド・ソサエティ研究 第4巻)」(共編著)、「ラオス農山村地域研究」(共編著)がある。
養生ラボ編集部です。インタビュー取材、連載コラム編集など。