医学博士、池川クリニック院長。胎内記憶でも有名な池川明さんにお話を伺ってきました。
吉村医院のお産の家の開院式お祝いのイベントにたまたま豊川に来た時に参加させてもらったのが偶然の一つのきっかけだったんです。
その時の吉村医院長の話で「死ぬことは運命だと」「死ぬことは仕方のないこと」と言われたのを聞いて、「産婦人科医は赤ちゃんを助けるためにやってるのに」と当時の私は腹を立てていました。
その年に、池川クリニックでもカンガルーケアの導入を始めたのですが、見たこともやったこともない。
話でしか聞いたことないことで、どうなるかわからない状況だから吉村先生の仰った言葉のように「赤ちゃんを信じて任せるしかない」と思ったんですね。
それでカンガルーケアを始めたところ、赤ちゃんがとても穏やかになったんですよ。
元々赤ちゃんが穏やかになってくれるのを期待してやったわけではなく、体温が冷えないってのを期待してカンガルーケアを導入したんですが、赤ちゃんが泣かないんですよね。
その子が1ヶ月検診に来たとき、私の目を見て「にこっ」と笑ったんです。
産科医の常識
それまでの産科の常識では、赤ちゃんは1ヶ月では目がまだ見えない。
だから自分で意図して笑わないって教わってたから、僕自身今までそんな風に赤ちゃんのことを見てなかったから、感じることはなかったんだけど、間違いなく見てるなと思ったんだよね。
その体験からも、その時吉村先生って本当にすごい人だなとピンときてそこで僕自身の考え方も変わったんだよね。
笑い話ですけど、実は最初お会いしたとき吉村先生は腹を立てるくらいとんでもないひどい医者だと思ってましたからね(笑)
吉村先生にも直接お話しましたけどね。
ーーーでは吉村先生との出会いが池川先生の考え方が変わったきっかけ第一歩だったんですか?
そうですね。その他にも伏線があって、その2年前にロータリークラブというのに入ったんです。
そのロータリークラブに入った初日に、来賓で来ておられた教育者の田口正敏先生と名刺交換をしたら、その方に「これからの教育はお産がよくならないとよくならないんですよ」と言われたんです。
その時はよく意味がわからなかったんですが、ずっとその言葉が頭に残ってたんですね。
それがちょうど1997年のことでした。
その2年後の1999年7月辺りに吉村先生にお会いして、そのすぐあとの同年10月に僕の産婦人科池川クリニックでもカンガルーケアを導入して、そこからトントントンと状況や意識、考え方が変わっていき、
1999年はちょうど「生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える」 (PHP)が発刊されたんですが、
知り合いの精神科医の先生が「この本いいから~」とプレゼントしてくれたんですね。
その時期に色んなことが集中して重なり、それから「お腹の中の赤ちゃんって記憶あるんだ」という話になって。
たどっていくと、「赤ちゃんは一から自分で決めてくる」という話になっていくんですね。
そこで、あの時吉村先生が言ってたことが正しかったじゃないかということを自分の中でもかなり確認するわけですよ。
胎内記憶との出会い
そういった流れで胎内記憶のことを調べていくと、いろんな事を子どもたちが教えてくれるんですよね。
最初は興味ですね、これ面白いな~と。
産婦人科医だけどもお腹の中ってどうなってるかは知らないわけですよ。
そんな中、子どもたちはリアルに語ってくれるんです。「お腹の中は暗かった」とか「泳いでた」とか「お腹の中は気持ちよかった」だとか。
聞いてるだけで面白いですよね。
それが私のスタートですね。
この色々な出会いがなければ、どれか一つかけていてもこの「胎内記憶」というのにたどり着かなかったかもしれません。
それかもしくは行き着かなくてもどれか他のことで気がついてたどり着いたかもしれませんが。
私にとっては1997年10月にロータリークラブに入ったのが大きなきっかけとなりましたね。
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池川明プロフィール
1954年、東京都生まれ。帝京大学医学部卒・同大大学院修了。医学博士。
上尾中央総合病院産婦人科部長を経て、89年、神奈川県横浜市に池川クリニックを開設。
サイトはこちらから⇒池川明ドットコム
主な著書に「子どもはあなたに大切なことを伝えるために生まれてきた。 (青春文庫)」「ママのおなかをえらんできたよ。」「ママ、さよなら。ありがとう」などがある。
養生ラボ編集部です。インタビュー取材、連載コラム編集など。