磨き抜かれたプラシーボ【すべての鍵は自分の治癒力】

日本のホメオパシーの草分けであり、第一人者であるハーネマンアカデミー学長の永松昌泰さんにお話を伺っています。

前回の記事はこちらから→ レメディーは気づきを与えるある種の鏡の役割である

ーーー気付きを与えて、治すのは自己治癒力になるのですか?ホメオパシーはブラシーボ効果ではないんですか?

その通りです。眠ってしまっていた自己治癒力を発動させるのがレメディーです。

自分がまっすぐ立っているつもりならば、普通の状態だと錯覚しているので自己治癒力は発動しませんよね。

そして、自己治癒力が発動すれば自分の本来の状態に向かっていきます。本来の状態は、自分の深いところではわかっています。

最終的には治癒というのは自分の治癒力が発動する以外はありません。要はそれをどうやって発動させるか?

簡単に言えばそれだけなんです。

それからプラシーボの質問ですが、良い質問ですね。

プラシーボというのは、皆さん十分にご承知だと思いますが、ただの砂糖玉でも、信じている医師が「これは素晴らしい薬だ。」と言って出されると、治ってしまう、という現象ですね。

これは一定の割合で起こることを医療の世界でも事実であると認めています。

だから薬の作用を調べるのに、いわゆる二重盲検法、つまり薬を出す方も出される方も、それが何かを知らないという方法で実験します。

非常に興味深いことに、医療の世界と心理学の世界では、プラシーボについての基本認識が対照的です。

医療の世界では基本的にプラシーボはノイズ、つまり邪魔者です。純粋な薬理作用が分かり難くなる邪魔者だと医療の世界では捉えています。

それに対して心理学の世界では医療の世界よりプラシーボの基本認識ははるかに進んでいます。

磨きぬかれたプラシーボ

信じるだけで治る。もしそんなことが起こるのであれば、こんなに素晴らしいものはないじゃないですか?

だから本来は、なぜ信じるだけで人は治ったりするのか?ということを極めていく必要が本当はあるのです。

誤解を恐れずに言うと、ホメオパシーは「磨きぬかれたプラシーボ」だと言うことができます。

信じるだけでもそれなりに強い力ではありますが、そうかと言って信じるだけでみんな良くなるかと言えばそんなことはありません。

信じる強い力によっても起きますが、確実ではありません。

治癒の回路は目には見えませんが将棋倒しの回路のようなものが縦横無尽に走っているのです。

それがちゃんと発動すると良くなっていく。良くならない時は、将棋倒しの途中に何か邪魔者があってちゃんと倒れていかない状態です。

それを我々はディスターバンス(妨げるもの)と呼んでいますが、このディスターバンスがなくなるとちゃんと将棋倒しの回路が発動していくわけなんです。

ホメオパシーのレメディーというのはこのディスターバンスによく似たものを投与する。

つまり呼び水のように、お迎えにきているのです。ディスターバンスが「成仏」しやすいように(笑)お迎えに来ているのです。

今までご苦労さま。今まで有難う。もうそろそろ気が済んだでしょうとばかり、お迎えに来て、一緒に成仏していく。

つまり溶解して根本的に解決する、ということなのです。

だからもし敢えてプラシーボという言葉を使うならば、磨き抜かれたプラシーボである、と呼んでいます。

ーーーだから懐疑的な人でも効くと?動物でも効くと聞いたんですが、やはり効くのですか?

そうですね、プラシーボが効かないのでは、と思われている幼児や動物は実は大人の人間よりもはるかに効きやすいです。

それは、より「素直なるもの」だからです。素直なるもの、というのは「従順」という意味では全くありません。

本来の真っ直ぐな性質のことです。とても重要な話ですが、これを深めていくと、とても怪しい話になるので、やめておきます(笑)

プラシーボの一般的な定義だと、偽薬とか訳されていますがそれは違うのです。自己治癒力を発動させるのに有効な力の一つです。

結局はすべての鍵は自分の治癒力であって、その自然の治癒力をどうやって発動させるかだけなのです。

プラシーボ効果の場合には、信じるという強い力によってそれが発動しているということなんです、

田中佳先生から聞いてなるほど! 面白い! と思ったことに、実は現代医療も本当は同じで、現代医学は100%自己治癒力に頼りきってるにも関わらず、自己治癒力という概念はないんです。

どうして手術するのか、手術して切ります。手術後は縫いますが、縫うだけで十分かと言えばそんなことはないですよね。

自分の治癒力が働いてちゃんと復元するというのがわかっているから手術をするわけなんです。

だから自己治癒力は現代医学の前提にあるわけなんですが医学理論の中には全くない。

これは盲点になっているのです。この盲点のことを、私は「隠れた前提」と呼んでいます。

自分自身が立っている最も根本的な土台、地平が見えてない。

東京タワーにいる人には東京タワーが見えないようなものです。

医師の中でも人間を本気で単なる機械である、と思っている人はいないのですが、現代医療は表面的にはまるで人間を精密な機械のように扱っています。

ここで人間機械論について、少し難しい話をしても良いでしょうか?(笑)

ーーーは、はい(笑)

人間機械論とは、単に人間を機械として観るから機械論になるのではないのです。だって実際に人間というのは、ある意味ものすごい精密な機械なんです。

人体を知れば知るほど、とてつもなく精密な機械だということが分かります。例えば腎臓のシステムなんてホント鳥肌モンです。

ですから、人間の一つの側面として、人間は極めて精妙な機械でもある、と認識することはちっともおかしくないし、とても正しいです。

そして、それは人間機械論ではないのです。

それを教えられたのは、ドイツの生物学者のマダウスの畢竟の名著「植物療法」によってです。人間機械論とは人間を一種の機械として観ることではない。

人間は確かに一種の機械でもあるからである。

しかし、人間を機械として見るだけでなく、他のあらゆる要素は全部無視しても構わないんだという妄想に囚われた時に、初めて人間機械論が始まるのだ、という一文を読んだ時に、正にその通りだ!と思わずうなりました。

今の医学教育の中では、残念ながら本当に意味のある哲学教育がないですね。

哲学とは何か。それは画素数を高めることです、画素数を高めるということは、例えば100画素しかなければ全部モザイクで何か全く分かりません。

だんだん画素数が上がっていき100画素が1万画素になったら全然ちがうし、100万画素以上になると非常に精密に見えます。

つまり、画素数が上がれば上がるほど物事のありのままに近づいてくことができるのです。

物事のありのままに近づいていくのが哲学なのですが、医学の教育というものが偏っていて、単なる事実の集積になってしまっているので、医学部で一番ビックリするのは「健康とは何か」という授業が全くないんです。

これはびっくりしますね。本来の医学のゴールは健康であるはずなのに、単に病をどうするか、ということに終始しています。

なので、学ぶのは病についてだけで、健康については何も学ばない。

だから、医師は病の専門家ではあっても、健康の専門家では全くない。これが一番の驚きです。

しかも、病を根本的に治すことではなく、病は悪いものと考え病を攻撃することしか考えません。病の意味も全く理解もしません。ただ悪い奴だと。

病を攻撃したら自動的に健康になるわけではないのです。健康とはあらゆることを味方にして築いていくものです。

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永松昌泰

1958年生まれ。山口県出身。ハーネマンアカデミー学長。

慶應義塾大学工学部卒業後、コロンビア大学、パリ大学で哲学、文学、物理学専攻。家業の鉄鋼業を経営するうち、金属の変容・変態と人間の変容との類似に気づく。

英国にわたり、 ホメオパシーと出会う。1997年、ハーネマンアカデミー設立。日本ホメオパシー振興会主宰。

ハーネマンアカデミーのサイトはこちらから→ハーネマンアカデミー・オブ・ホメオパシー

著書に「ホメオパシー入門」(春秋社)、『花粉症とホメオパシー』 訳書に「ホメオパシー医学哲学講義」(タイラー・ケント)、「ホメオパシーの哲学 病の声を聴く(ジュリアン・カーライオン)他などがある。

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