「EM技術」の開発によって、世界的に知られ、海外各国でも技術指導されている比嘉照夫さんにお話を伺っています。
【前回の記事】
ラットの耐放射線の研究や土壌にEMを散布しただけで、セシウム137やストロンチウム90の、農作物への吸収がほぼ抑制されることを確認したのです。
そのことは1997年に発表されたのです。
私は、その発表を受けて、放射能が消滅しているのではないかと質問したら、こんなバカなことはないと言われましたが、次の年1998年に私が直接現地に行ったんです。
そして試験しているところを調べると、放射線々量計の数値が、EMを散布した畑の中心部だけ、15パ-セントくらい減っているんです。
その時、オーリングのチェックもしましたが、やっぱり減っており、どう考えても減っているという結果を同行したコノプリヤ所長に話したのです。
彼は、その話を全く信じられず、計測器がおかしいと言い出したのです。
仕方がないので、私の研究手法を彼に話したのです。
結局、未知か最先端の研究というのは、状況証拠を山ほど積んで、最後は、勘で判断するしかない。
私の研究者としての勘は、過去一度も外れたことがない。
これまでの状況証拠を総合的に考えると、これは確実に減っていると判断したのです。それが外れたら、私の学者生命は終わりですから。
EMもそうで、始めの頃は、微生物でうまくいくと私が言ったら、EM潰しの団体から500万円のお金をもらった日本土壌肥料学会が、「EMを否定」し、EM潰しに様々なことをやりましたが、すべて私の言う通りになりました。
今では、「世界一無能な学会」と私に言われても反論できない情けない学会です。
このようなことは、記録として歴史に残しておくべきと考えています。
それで、話は戻りますが、私は確信があったので、もう一度EM散布の実験をしてもらうように提案し、所長のコノプリヤ教授も半信半疑でしたが、了承してくれました。
放射能実験の結果は・・・
翌年の効果はてきめんで、放射線量は軒並み、15%以上も減少したんですね。
30年で半分にしかならないのを、1年で15%も減るなんて信じられないと彼は本音を言ってましたね。
(上記グラフの説明)
水、EM及び酢酸による土壌中のセシウム137濃度の減少しかしながら、実際に土譲に残ったセシウム137を測定したところ、予測しなかった結果が得られました。
土壌中でもっともCsが減少していたのは、酢酸を施用した場合ではなく、EMを散布した場合でした。
もう一つ、EM処理区で育てた農作物からは、ストロンチウムやセシウム137も検出されずに、例年よりすくすく育ったという結果も出たんです。
その後、私はドイツに戻り、ドイツのフンボルト大学の関係者にその話をしたら、その中に、ウクライナ出身の学者がいて、その後、彼がウクライナでも実験をしたら、30~35%も減ったという結果が出たのです。
いずれも国際的な学会では発表は拒否されてしまいました。
その後、福島での実験では、2万ベクレル以上もあった放射性セシウムが、2ヶ月で5000ベクレルまで下がったのです。
現在、福島で様々な調査を行っていますが、私の予測通りの結果となっています。
内部被曝の問題も、野呂さんとの約束もあるので、日本に療養に来た子どもたちを、可能な限りEM生活をさせ、EMのプールで泳がせたり、EM飲料をずっと飲ませたのです。
そうしたら、日本で療養した子どもたちだけが、他の国に行った子供達よりも内部被曝の数値が極端に低くなったんです。
内部被曝したベラルーシの子ども達
その当時、ボランティアで子どもたちの引率をしていた、ベラルーシ出身のエドアルド・ヴェンスコビッチ君という天才的に頭のいい男がいて、一週間で日本語がペラペラになっちゃうくらいの能力の持ち主でした。
彼が、EM飲料に強い関心を持ってくれたので、私が奨学金を出して、私の所属していた琉球大学農学部の研究生として受け入れ、EM飲料の内部被曝対策の研究を始めました。
その後、彼は大学院に進学し、ベラルーシの法律に従って、出発してくる子たちの内部被曝量をベラルーシで測り、日本で療養した後、またベラルーシに戻って計測するといった形で、データを収集しました。
当時は、機材なんかも貸してもらえないから、自分たちで買わないといけなかったのです。
この測定器は、ホールボディカウンターと言うんですが、野呂さんの協力で購入することになったのですが、輸入関税が200%もかかるため、かなり高額でした。
一方で、部品なら関税は50%になるのですが、そこで考えて、ヴェンスコビッチ君をメーカーのあるウクライナに派遣し、ホールボディカウンターの組み立てを覚えてきてもらい、同時に、放射線測定の取り扱いに関する資格を取らせ、部品を輸入するようにしました。
その後、その完成した機械がちゃんと正しく計測できることを証明する必要があり、コノプリヤ所長の協力で、ベラルーシのすべての認証をクリアして、第三者の批判にも耐えられるようにして、実験を行いました。
その結果、EM飲料を1日50ccずつ飲んだ子ども達は、1ヶ月で検出限界値を超えて、それから帰国後、半年経っても再汚染しないということもわかったのです。
そこで、1999年に開催したEMフェスタで、資料やデータなど、すべて公表しました。
しかしながら、常識では考えられないことなので、ベラルーシ側は、やっぱり不安を感じ、発表してもいいけど、自分たちは責任を持てないと言って、
「放射線に素人の比嘉先生が言っても恥をかかないけど、我々が言ったら死活問題だから」ということになり、EMの開発者は私だから、私の責任で全部出しますと言うことになり、公開しました。
【関連記事】
比嘉 照夫(ひが てるお)
1941年12月28日沖縄県生まれ。EMの開発者。
琉球大学農学部農学科卒業後、九州大学大学院農学研究科博士課程修了。1970年に琉球大学講師として勤務。
1972年に同大学助教授。1982年に同大学教授。
2007年には同大学名誉教授となり、同年 4月より名桜大学教授及び国際 EM 技術研究所 所長(現在、国際EM 技術センター センター長)に就任。
「EM 」を研究開発し、EM は農業・畜産・環境・建設・工業利用・健康・医学などの幅広い分野で活用され、現在世界 150ヵ国余に普及されている。
EM研究機構のサイトはこちらから⇒EM研究機構
主な著書に「新・地球を救う大変革」「甦る未来―EM技術が21世紀を変える
」「EM医学革命―いのちを救う!驚異のEM‐Xとは (EM情報大百科)
」などがある。

養生ラボ編集部です。インタビュー取材、連載コラム編集など。